仏画小野の沿革

仏画小野は、明治初頭から京都で代々続けている仏画家系です。
千年の歴史とまではいきませんが、歴史ある仏画家系として代々受け継いできた精神を大切に、日々精進しています。

幕末~明治に至るまで
 御所絵所から、大和絵土佐派の流れをくむ、高丘光章が町絵師となり、名を小野光章と改める。
 当時は仏画に限らず、多方面からの依頼を受け、各種の絵を描いていた。
明治期~大正期
 明治初頭、仏画師 小野光章が、東本願寺絵表所への奉仕をきっかけに仏画小野を創業した。
 その後、小野一三郎が初代の後を継ぎ、東本願寺絵表所として奉仕することとなった。
昭和期
 昭和41年には、初代・二代目から技術を受け継ぎ、絵表所絵師として奉仕についた三代目 小野博雄が、長年の仏画の制作とその指導・後継者育成に対し、東本願寺宗務総長 訓覇信雄氏より表彰される。

 昭和50年、四代目となる小野辰郎は、東本願寺の浄土真宗に限らず、各宗派、多方面の仏画制作に携わり始める。代々受け継がれた正式な技法を守りながら、東西両本願寺の太子、七高僧図を得意とし、東西両本願寺の御絵伝、似絵から、各宗派の御本尊、頂僧図、説話図や、家庭のお仏壇の御本尊や脇侍まで幅広く制作した。
平成三年~
 四代目没後、五代目 小野雅朗が仏画小野を継承し、現在に至る。
 師匠であり祖父でもある三代目 小野博雄の「仏画には、生き方のすべてがあらわれる。」という教えを常に心に刻み、ただ無心に、ただ一心に、気負うことなく、逃げることなく、心を込めて一本一本の線を描く。